ホーム > ブラジル経済の歴史

戦後の経済成長

 ブラジル最初の工業化の波は、第一次世界大戦時に押し寄せた。しかし、ブラジルが近代的な経済レベルに到達したのは、1930年代以降である。1940年代には、最初の製鉄所が、米国輸出入銀行の融資により、リオ・デ・ジャネイロ州のボルタ・レドンダに建設された。

 1950年代から1970年代にかけては、自動車、石油化学、鉄鋼などの基幹産業が発達した。また、大規模なインフラ整備プロジェクトが着手され、完了した。第二次世界大戦後の数十年間、ブラジルの国民総生産(GNP)の平均成長率は世界の中でも上位に属し、1974年までの平均成長率は7.4%にも達していた。

 1970年代に入り、欧米や日本の銀行が、中南米諸国にこぞって融資した。特に、ブラジルには、過剰なほどの資金が流れ込んだ。この莫大な資本はインフラへの投資に向けられ、民間投資が行なわれない分野には、国営企業が設立された。

 この資本流入により、1970年代の2度のオイル・ショックにもかかわらず、ブラジルの1970年から1980年までの国内総生産(GDP)の平均成長率は8.5%を記録した。また、一人当たりの国民所得は、この10年間で4倍になり、1980年には2,200ドルに達した。

80年台の金融危機 〜 インフレとの戦い

 しかし、1980年代初頭、世界的な金利の急上昇を契機に、中南米諸国は金融危機に陥っていった。そのためブラジルは、厳しい経済調整を強いられ、マイナス成長となった。資本の流入が突然途絶えて、ブラジル国内の投資は鈍化し、そして、対外債務負担増により公共赤字は増大し、インフレを加速させた。1987年、政府は、債権国との債務繰り延べ協定が締結するまで、外国民間銀行への利払いを一時的に中止した。

 1990年代初頭、ブラジルは一連の遠大な経済改革に着手した。まず、1994年にはのちに大統領となるカルドソ財務相による「レアル・プラン」が導入され、1996年にはインフレとの戦いで大きな成果を上げ、1995年のインフレ率20%から1996年末には、9.5%にまで減少しました。

 この成果は、価格決定の自由を認めたことや、貿易開放政策などの様々なプロセスが実を結んだ結果生まれてきたものです。1996年の年間物価上昇率は1950年代以来経験したことのないほどの低い数字を記録しました。また、1997年のインフレ率は7%に収まりました。

 その後2002年の大統領選挙では貧富の差を縮めることを公約した労働者党のルラ党首が勝利し海外の投資家は折角軌道に乗ったブラジルの経済がまた悪い方向へ向き始めるのではという懸念を抱きました。しかしルラ大統領はカルドソ政権の残した手堅い経済運営のやり方を注意深く踏襲し、現在に至っています。


inserted by FC2 system